2022年8月1日配信
長崎の鐘
1945年(昭和20年)8月9日、長崎に原爆が投下された。妻を亡くし自身も被爆し重傷を負った永井隆氏(当時長崎医科大学助教授)が、崩壊していく長崎の街や負傷して苦しむ仲間や市民のことを克明に記した随筆『長崎の鐘』を書き上げたのは1年後。しかし出版までは紆余曲折があり、その事が叶ったのは昭和24年。同年、サトウハチロー作詞、古関裕而作曲の歌謡曲「長崎の鐘」を発表。サトウ氏の詩は、長崎をはじめとして戦災を受けたすべての人々に対する鎮魂歌であり、再起を願った詩であった。古関氏の曲も短調(暗い曲想)から始まるが、途中から晴れた空を見上げ希望に向かうかのように長調(明るい曲想)に変わる。すべての日本人の心を癒すかのように。