荒城の月
廉太郎が12歳のときに父親の転任のため現在の大分県竹田市に移り住んだ。学校の裏にある岡城で遊んだり、石垣に座り尺八を吹いたり多感な少年期を過ごした。詩人土井晩翠のこの詩の作曲にあたり思い浮かんだ情景は、幼少期を過ごした竹田市の岡城だといわれている。明治34(1901)年に文部省編纂「中学唱歌」の出版にあたり、「荒城の月」「箱根八里」等を作曲。
作詞:土井晩翠 作曲:瀧廉太郎
日本のうた 撮影地:大分県、竹田市岡城